月刊カドカワ 92.10月 「本人自身によるアルバム解説」 (5) |
最高傑作と評判の家庭教師。どぉなっちゃってんだよ、カルアミルク、あのロン、ステップup↑などなど人気曲も目白押し。
ペンションも大好きです、私。「足が疲れちゃったって君はすねてしゃがみこむ~♪」こんな経験ないかい?ベイベ!私はある(爆)
あ、いやいや、そんなことどうでもよくて、いざ参りましょう。
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‘89年の6月には天安門事件があって、その年の11月にはベルリンの壁が崩壊してるのかぁ、で、‘90年の夏にはイラク軍がクウェートに侵攻してる。このへんの出来事っていうのは、ぜったい教科書に載りますよ。もう、ほんとに世界が動いてるから。
でもねぇ、たぶん日本人のほとんどはなんでイランとイラクとクウェートがあんなことになっちゃったのか解ってないでしょう?どうしなくちゃいけないか?ってことを含めて・・・。
たとえば、イギリスではいまだに宗教戦争っていうのが存在してるけど、どうして終わらないのか?は僕たちには解らない。それは知りたくないからだろうし、知る必要性も感じてないからでしょうね。必要を感じない限り知ろうと思わないっていうか・・・。僕たちが知ろうと思っていることは雑誌に出てる“HOW TOなんとか”や“いまコレを買うとお得”とかそんなことでしょ?“この夏着たいのはコレ!”や“何とかのナイトクラビング”とか、知りたいことはそんなんでしょう、きっと。僕も含めて。
たとえば、いま、前田日明がやってるプロレスを僕は見ていて怖いと思うんだけれども、当人にとってはあれをやる必要性があったと思うんですよね。見ててほんとに怖いんですよ、本気で闘ってるから・・・。でも、そこまで辿り着くには何かあるわけですよね。実際、見てると何か切羽詰まったものを感じるし、反面、それを感じようとしない自分もいる。だから怖く感じるとおもうんですよ。そこにまで到る経緯が解ると怖さの度合も軽減するんじゃないかな?
僕たちの世代っていうのは、辛いことがあったらやめちゃいますから。別にことさら必要性を感じなかったら、そうしなくても食っていけるし、そうしなくても痛い目に遭うっていうことはないから。でも僕が試練のようにして音楽を作ってるのは、自分のなかでどうしてもそうする必要があるからだと思う。
「早熟」ってセレクション・アルバムを出したのも、「靖幸」を作った段階で、あれはその当時の最大にして強いものだと思ったんで、逆に“次に作るものはどんなふうになるだろう?とんでもないものになるんじゃないか?”と思ったんで、その前にポピュラリティのあるものを出そうとしたわけです。で「家庭教師」ができたと。
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ハイ、いきなり教科書好きな靖幸。
それは知りたくないからだろうし、知る必要性も感じてないからでしょうね。必要を感じない限り知ろうと思わないっていうか。
あー、こんな内容を何かの本で読んだことあります。人は自らが知りたくないものに関しては「わからない、難しい」という。自分の興味がある事に関しては難しい事も難しくはないのだと。
靖幸のいうとおり、「家庭教師」はポピュラリティのあるものですね。狙い通りだ。
アルバム解説を通して、靖幸は非常に「世代」というものにこだわるなと。
繊細な彼には、周りの環境・流行・事件というものが自分に及ぼす影響ってのが凄く大きいからなのかなぁ。と思ってみたりしました。